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ハーモニー 〜調和を目指す響き〜 3

音の関係性

 もともと音程というのは、ある音が他の音より高いか低いかを示すものです。
 日本の能などはそうですが、下音、中音、上音という表記の仕方で音程をあらわしました。どれくらい高く、どれくらい低くは演奏や謡の様式の中で体験によって伝えられているのです。
 ヨーロッパも古くは似たようなものでした。記譜法という高度な記録の方法も元来は音高を書き示すだけで、リズムなどは全く書かれませんでした。
 細かく音程を書き示すこと自体、大変な発明なのです。まず、音の高さによって異なる名前付けをしないとなりません。この名付けが行われない限り、音高の差はたんに高い、低いというだけで、どれくらい高い音、どれくらい低い音かという区別は認識されることにはなりませんからね。
 当然のことながら、この音の高さというのはそもそもあまり客観的なものではなかったと思います。同じメロディーの歌でも、歌う個人やグループによって音の上下動には個性があったでしょうし、現代でも声明などでは大勢の僧侶がまちまちな声の高さで歌っていたりします。そして、この音高のずれから生じる自然発生的な響きが妙に心地よかったりするのです。

 私はチェンバロ奏者なので、日常的に楽器の調律を行っています。
 はじめは調律の解説書を片手に、5度のうなりが何回で4度が何回で・・・ああでもない、こうでもないと試行錯誤でした。次第に慣れてきてうなりの回数を聞くことができるようになってからは、いわゆる既成の調律法をいろいろ試しましたが、これという自分の気に入る響きを得ることはなかなかありませんでした。むしろ、調律してから時間が経って、少し狂いが出てきてからの方が気持ちのいい響きになっていたりするものだと感じていました。
 特にチェンバロはあらゆる種類の和音を鳴らしますから、音程云々よりも3度や5度6度7度などが混ざっておこる波のうねりのような響き、揺れている響きの美しさを求めてしまいます。うねりとか揺れ、これはもう一種の快感です。
 かと思えば、ミーントーンのように多くの長3度を純正に、うなりのない響きにとる調律では、確かにその3度は協和音程になりますが、ほとんどの5度はかなり狭い不協和音程になっているといえます。
 このミーントーンでないと、バロック初期の音楽の本当の良さは伝わらないと考える人が増えていますが、私はまだそこまで信じてはいません。なにせ、5度や4度の響きが犠牲になっているということは、声楽の響きを考えるとかなり美しさが損なわれているのではないかと思うからです。
 オルガンの響きもそうです。特に終止の和音で狭い5度と純正な3度を響かせるとすると、かなりきつい尖った響きになるでしょうね。だいいち、オルガンでは往々にして終止で3度を省き、8度と5度の協和音程をあえて用いるくらいのことをしているわけですから。。
 しかしまあ、弦楽器やチェンバロのなどの響きではミーントーンの良さがはっきり現れたりします。ミーントーンの3度はもともと自然倍音の中に含まれる音程ですからね。

 今回もあまりまとまりませんでした。音程や響きという大きな問題で、何に焦点を当てて考えるは、次回によりハッキリすると思います。
 その次回ですが、「揺れる響き」というテーマで話を進めてみたいと思っています。
by toshimusikk | 2006-12-04 00:21 | 音楽
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