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年末受難

12月もいよいよ残りわずか。。
年末仕事の忙しさに加え、年賀状の準備、クリスマス、大掃除、もちつきなどなど、本当にこの時期限定の大行事が次々と押しよせてきます。
私はしかも、引っ越し!
前々から考えていたことを実行に移しているだけなのですが、あえてこの時期に引っ越しをするというのも、やはり背中を押されて勢いづけられていたからなのでしょう。
何に〜?  それはめったなことでは語れないし、語りたくても難しくて自分自身で整理がついていない問題なんです。

引っ越し先は町外れの一軒家。もっとも6軒が1区画にまとめて建っている昔の長屋みたいな感じのところです。群馬県ですから家賃が安い!
そこに面倒を見なければならない鍵盤楽器をそろえて置いて、さらに古楽器バンド「コキリコ社」のリハーサルの場所、かつ友人たちのゲストルームででありまた私自身の生活の場でもある、、そんなおうちにしていかなければならないと痛感しています。
今まで借りていたスタジオは、奇麗すぎて駄目でした。。
床は傷つけてはいけないとか、でかい家具が入っていてスペースを思うように作れないとか、いろいろ問題があったのです。

基本的に今度のスタジオは畳の部屋です。
考えても見なかったことですが、この畳の部屋というのが以外にいい響きを作るものだったのです!! 畳はすごい! 洋室もあるのですが、そこに楽器を置くより畳の部屋に置いた方がいい音がするではありませんか。。驚きました、そして、目から鱗が落ちました。。

電話も引き、ネットも開通、さてコンピュータを接続しようとすると、、なんと購入以来初めての故障!! モニター真っ黒で何にも見えませ〜ん、ぅ、ぅ、ぅっ。。

結局バックアップもろくにとれないまま初期化のはめとなってしまったのです。
しかも予想はしていたけど、家族ともいよいよ距離ができて、なんだか飛び出したのか追い出されたのか分からなくなってきたではありませんか。。

でも、このくらいしないと、本当に自分の持つ力で音楽の道を切り開いていくパワーが活動を始めてくれないのです。どうも、音楽家というのは放っとくと甘えん坊で、小さな世界で満足してしまいがちです。そうではいけないと気がついたのです。
活動が小規模であろうと地味であろうと、音楽を道連れに放浪の旅に出ていくみたいな気がしています。広々とした世の中が、ようやく霞の向こうに見えてきた感じです。

さて、明日もメサイア公演。受難がなければ復活もない。
これからもチャレンジする楽しさを忘れずに、マイペースで無理せず頑張りましょう。
近々、新しい連絡先もこのブログのリンクに貼付けておきますので、もう少々お待ち下さい。まだ新しいアドレスでインターネットの設定ができていないので〜す。
コンピュータの調子がやっぱり悪いので。。。
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by toshimusikk | 2006-12-27 01:13 | 雑記

引っ越し中です

ただいま引っ越し中です。記事も書いてますが、アップするのはなかなかできず。
プロバイダーとも新規契約なので、アドレス変わってしまいます。でも、ブログはこのまま続けられると思うのですが、とにかく頑張ってます。

音楽のこと、好きな陶芸のこと、そして、超個人的な世界観についてこれからも書いて参ります。もうちょっとお待ちください。。。
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by toshimusikk | 2006-12-17 00:32 | 雑記

陶芸作家 関口理良を読む 続き1

タイトルに「読む」とあるのは、普段はあまり知ることのできない陶芸作家の作陶への思いや工夫、ものの見方や感じ方などを、彼女は正直にブログに書いてくれているので、興味のある方にはぜひそれを読んでみていただきたい、という気持ちを込めて。。
そのブログ自体は書き始められてからの期間は短いし、たくさん更新されているわけでもないので、あまり時間をかけずに全部読み切ってしまえる。それでいて、彼女の作陶の背景とか、専門的な釉薬のこと、絵付けのことなど、実際の彼女の作品の写真を見ながら分かりやすい文章で読むことができる。とくに、2005年8月の辺りは記事も多いが中身も充実していて面白く読めるだろう。

そのブログから引用すると

c0095185_0374193.jpg私の描いた落書きから、「転写紙」を作って本焼き後に焼き付けたお皿です。
「転写紙」は「シルクスクリーン版画印刷」の技法を用いたもので、シルクスクリーンで使われるインクを「呉須」に変えて刷ったものです。ですからよ~く見ると、絵はドットなんです。
(中略)
私が自分の作品に転写紙を使う理由は、以前も触れましたが、絵を描くと言うよりも描いたモノをコラージュしたいからです。落書きのかわいらしさだけでなく、どこか冷たさと言うか、サーカスティックな感じに仕上げたいんですね。

「焼き物が好き」と言う人に、こういう作風はまずウケないと思います(笑。
だからあえてやりたい、とも思います。やっぱりサーカスティックですねぇー。
(以上、引用)

彼女のいう「落書きを器に転写することで作るコラージュ 」された作品について考えてみたい、それが私の陶芸批評の最初の試みに陶芸作家「関口理良」を取り上げたかった理由である。
c0095185_0392344.jpg


写真は関口理良さんのブログより借用させていただきました。。
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by toshimusikk | 2006-12-12 00:40

陶芸作家 関口理良を読む

 日常何気なく使っている湯飲茶わん、ぐい呑み、どんぶりやマグカップ、数々の皿、それらには磁器もあれば陶器もあり、ガラスのものもある。その中で日本人に最も馴染みの深いものといえば、なんといっても陶器だろう。
 普段の暮らしになくてはならない器たち、その多くは陶器であるといえる。一般に土をこね、整形し、焼くことによって作られるものには、土器、陶器、磁器の3つの種類がある。そして特に陶器は日本の茶道の茶器と結びついて、独自の世界を発展させてきた。現在の日本には無数の陶芸の窯元があり作家がいるといっても過言ではないだろう。
 ぼくがシロウトながら自分なりの陶芸批評をしようと思いついたのは、最近陶芸の道が自分の生きる芸術の道と交差した経験を持ったからだ。
 これまでのぼくは、陶芸というものをほとんど意識したことがなかった。もちろん個人的に知り合いの陶芸作家はいて、時々は使いたい長皿の注文をすることもあったが、それが音楽という自分の道と同じものだとか、同じ芸術的探求に満ちあふれた世界だとは知らずにいた。
 陶芸というものの奥深さと本質とを知って、ぼくの世界観はより広く深くまで動き始めることができたのだが、そのきっかけ、いや、無知なぼくの小さかった世界を否応なく広げてしまったは、陶芸作家「関口理良」との出会いだった。
関口理良陶芸工房

つづく〜

本日のおまけ
 みなさん、これを書きながら飲んでいるワインはすごく美味しいです。最近にない巡り会いといってもいいでしょう。2006年はボジョレーヌーボーもいまいちでしたが、これは本物。ラベルは CELLIER DES PRINCES 2004年のメルロー種のワインです。本当に、うま〜い!!
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by toshimusikk | 2006-12-11 00:46

揺れる響き

音の波形をオシロスコープで見てみると、純音ならきれいな関数曲線の波形がそろいますが、たいていの音はそれがかなりギザギザ変形していたりあるいは別の山が混ざりあっていたり、大変複雑な波形をしているものです。
日常にある音で音楽に使えそうな音はほとんどがこの複雑な形をしたもので、かつやや規則的な波形を持った音です。それに対し、雑音と呼ばれる音にはこの規則性がなくて、複雑な波形がほぼデタラメにつながっていることがほとんどです。私の演奏仲間に雑音の専門家がいますので、今度しっかり話を聞いておきましょう(笑)。

音楽の中には、関数曲線に見られるようなきれいな波形の音はほとんどないわけですが、いずれにしろその波は規則的に揺れています。細かく揺れていれば高い音、大きく揺れていれば低い音というわけで、音程というものもこの揺れに由来しているのです。そしてこの揺れというのは、生命のエネルギーと深く関わっていす。(ここからついに、私的な論理に突入してしまいます。。)

この世界というものの存在は、全てが「揺れ」ることによって支えられています。少なくとも、私達が暮らす地球上ではそうです。
命あるものもないものも、全てが揺れています。どんな石ころも、ダイヤモンドでさえも極小の物質レベルでは揺れ動くことで存在しています。
ひまわり畑の何千もの花が一同に太陽の方角に向かって動くことも、生物で習うように感覚装置と運動装置だけでは説明できないことがあります。それは、その感覚や運動を起こすスイッチは何か、そしてそのスイッチを稼働させるエネルギーは何かということです。私はそのエネルギーが、物質が揺れることで存在していることの中にあると思います。つまり存在そのものが既にエネルギーであり、パワーなのでしょう。
そういった存在の揺れとは、私たちの目には見えないし、耳には聞こえません。ただ、間接的には知っています。例えば、目に映るもの全てに形があって、色があって、質量を感じるのはなぜか? それは、光がそのものに反射してそれを眼球をとおして脳へと情報伝達しているからと説明できるかもしれません。しかしそれでは不十分なのでは・・・あるものが固有の色に見えるのはそれが光に作用してその色の波長をよく反射するからですが、それは光が勝手に屈折するだけではなく、そこにあるものの存在が光に対して働きかけるエネルギーを持っていて、それが作用した結果ではないかと考えてみましょう。つまり、光の波長が変化させられたのです。
光のかわりに音波を当てても、きっと同じような結果になると思います。
楽器のいろいろな音色はその素材によって異なりますが、それはなぜ? という答えも多分ものの持つ「揺れ」という存在エネルギーが働くためなのでしょう。

話について来れない人!??
ごめんなさい、超個人的な見解ですので。。。
しかし、こう考えるとイメージが膨らむし物事が理解しやすくなるような気がするのです、ただ、あんまり学問的な見解ではありません。お断りしているように、超個人的な思い込みであり見解なのです。

もしこの世に何でも聞くことのできる耳を持った者がいたら、この世界のあらゆるものが音を発していると分かるでしょう。揺れることによっておこる波、それが音なのですからね。ただ、私たちの聴覚は非常に弱いので、想像力で補って聞こうとするよりほかに手段がありません。かつて、ケプラーが描いた天体のモノコルドの図なども間違いなくそのいい例です。

さて、音の響きを考えると、ハーモニーとか倍音と言う言葉が頻繁に使われますが、これらがどう言うものかという説明的なことよりも、音はなぜ響きあうのかという根源的なことの方が面白いようです。

ああ、でも長くなってしまいました。。 というわけでまた次回。
はたして最終回はくるのでしょうか・・・?
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by toshimusikk | 2006-12-07 17:19 | 音楽

ハーモニー 〜調和を目指す響き〜 3

音の関係性

 もともと音程というのは、ある音が他の音より高いか低いかを示すものです。
 日本の能などはそうですが、下音、中音、上音という表記の仕方で音程をあらわしました。どれくらい高く、どれくらい低くは演奏や謡の様式の中で体験によって伝えられているのです。
 ヨーロッパも古くは似たようなものでした。記譜法という高度な記録の方法も元来は音高を書き示すだけで、リズムなどは全く書かれませんでした。
 細かく音程を書き示すこと自体、大変な発明なのです。まず、音の高さによって異なる名前付けをしないとなりません。この名付けが行われない限り、音高の差はたんに高い、低いというだけで、どれくらい高い音、どれくらい低い音かという区別は認識されることにはなりませんからね。
 当然のことながら、この音の高さというのはそもそもあまり客観的なものではなかったと思います。同じメロディーの歌でも、歌う個人やグループによって音の上下動には個性があったでしょうし、現代でも声明などでは大勢の僧侶がまちまちな声の高さで歌っていたりします。そして、この音高のずれから生じる自然発生的な響きが妙に心地よかったりするのです。

 私はチェンバロ奏者なので、日常的に楽器の調律を行っています。
 はじめは調律の解説書を片手に、5度のうなりが何回で4度が何回で・・・ああでもない、こうでもないと試行錯誤でした。次第に慣れてきてうなりの回数を聞くことができるようになってからは、いわゆる既成の調律法をいろいろ試しましたが、これという自分の気に入る響きを得ることはなかなかありませんでした。むしろ、調律してから時間が経って、少し狂いが出てきてからの方が気持ちのいい響きになっていたりするものだと感じていました。
 特にチェンバロはあらゆる種類の和音を鳴らしますから、音程云々よりも3度や5度6度7度などが混ざっておこる波のうねりのような響き、揺れている響きの美しさを求めてしまいます。うねりとか揺れ、これはもう一種の快感です。
 かと思えば、ミーントーンのように多くの長3度を純正に、うなりのない響きにとる調律では、確かにその3度は協和音程になりますが、ほとんどの5度はかなり狭い不協和音程になっているといえます。
 このミーントーンでないと、バロック初期の音楽の本当の良さは伝わらないと考える人が増えていますが、私はまだそこまで信じてはいません。なにせ、5度や4度の響きが犠牲になっているということは、声楽の響きを考えるとかなり美しさが損なわれているのではないかと思うからです。
 オルガンの響きもそうです。特に終止の和音で狭い5度と純正な3度を響かせるとすると、かなりきつい尖った響きになるでしょうね。だいいち、オルガンでは往々にして終止で3度を省き、8度と5度の協和音程をあえて用いるくらいのことをしているわけですから。。
 しかしまあ、弦楽器やチェンバロのなどの響きではミーントーンの良さがはっきり現れたりします。ミーントーンの3度はもともと自然倍音の中に含まれる音程ですからね。

 今回もあまりまとまりませんでした。音程や響きという大きな問題で、何に焦点を当てて考えるは、次回によりハッキリすると思います。
 その次回ですが、「揺れる響き」というテーマで話を進めてみたいと思っています。
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by toshimusikk | 2006-12-04 00:21 | 音楽