バロック音楽で伴奏というとまず、数字付き低音、を思い出す。
通奏低音とかコンティヌオとかいうものだが、鍵盤楽器奏者にとってこれは一種の即興演奏だと思う。とはいうものの、あまり自由な即興が許されているわけではない。 まず、数字付き低音の仕組みを理解するという勉強が必要になる。これは、和声の勉強とかなり重なっているので、少し専門的に音楽を学んだものなら、解説書を読めばわかるだろう。 それから実際の演奏となるのだが、はじめはいきなりアンサンブルはできないので、一人で楽器に向かって音を作っていくという作業をする。そうしてある程度、連続する和声の変化を楽器の上で実践できるようになったら、ようやく他の楽器奏者との合わせに進む。 じつはここからが真の音楽の勉強、通奏低音の勉強となる。 低音に付けられた数字は何を意味しているか、その本当のところもここから真の理解が始まる。伴奏としてやれること、やれないこと、やるべきこと、やってはいけないことが少しずつわかってくるはずなのだが、、、 最近のチェンバロ奏者の伴奏はおかしい、と思うことが多い。 というか、伴奏になっていない演奏家が増えている。 伴奏の第一は中庸であること。 これはソリストに対して出しゃばるようなやり過ぎはご法度。さらにソリストに隠れてしまうような控えめで、やり足らないのもご法度。 ではどうすればいいかというと、やるべきことはすべてやるということ。 その意味は、ソリストに対する助力は全て出し尽くすということ。 最近はソリストと対等な、というか対峙的な演奏を目指しているのかな?と思ってしまうコンティヌオを誇らしげに演奏するチェンバロ奏者が増えているように感じて、内心、困ったことだと思っている。 コンティヌオ奏者は最低限、自分の音楽上の役割を考えて欲しいものだ。
by toshimusikk
| 2007-06-28 00:06
| 音楽
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