園部さんのこと

園部さんは2年前に亡くなった。80才は過ぎてたが、周囲のものがいつも驚くほど元気に飛び跳ねていた。彼女は舞踊(水尾流)のお師匠さんで、姿勢の良さはだれにもまねのできないほどの素晴らしさだった。

自分の孫に近いほど年の離れたぼくをいつも「先生」と呼んでくれた。
いまでもはっきり記憶に焼き付いているのが彼女の後ろ姿。外出は必ず和服。足の運びなど人に見せることを意識しているかのような見事なもの。一歩ずつ着物の裾をさばいては草履の並びが縦に揃うようにすっと出る。それが決して早くなく、また遅くもない。腰が全くふらつかず、滑るようについてゆく。町中をあんなに美しく歩く人をぼくは他に見たことがなかった。

夏の午後、日傘をかざして歩く姿は本当に粋で、色っぽかった。小さい体格なのにあまりの存在感でとても大きく見えたのだ。後ろにそっと立って見送ってしまう間、幾度となく溜め息をつき、その度に体から何かが抜け出てしまうような錯覚を感じたものだ。

彼女は胃癌で亡くなった。

手術の一週間ほどまえ、重そうな手提げ袋を下げて、園部さんはぼくの家を訪れた。
「先生、これをもらって下さいな」
中を見ると袋一杯に昔のSPレコードが入っている。
「先生、これはね、あたしが踊りの稽古に使っていたレコードなんですよ。うちの息子じゃ、あたしが死んでも、これがどんなものか分かりはしない。だからねぇ、あたしはこれを先生にもらってほしいんですよ。」
彼女は、最近目やにが出るようになって見えずらくなったという目をぱちぱちさせながら、ぼくを見上げていた。
 
「先生なら、あたしの心が分かるでしょお。ほら、このレコードのこの写真、よく見て下さいな。赤城馬子うたの踊りの写真、これ、まだ娘の頃のあたしなんですよ。東京のレコード会社に行って踊っているところを写真にしてくれたんです。いやぁ、懐かしい・・・」
ぼくは園部さんと一緒に一枚のレコードジャケットを覗き込んだ。そこには随分若い体のしっかりした娘さんが、馬子うたにふさわしい田舎娘の格好をしていくつもの踊りのポーズを取っていた。

「先生ならあたしの心がわかる、先生なら・・・」
そう何度も繰り返し言っていた園部さん、ぼくのコンサートを聴いてくれたわけではない。ただ、お互いに面と向かって挨拶し、言葉を交わすようになって、お互い信念をもって生きている者同士の信頼関係が生まれたのだと思う。

彼女が亡くなってお通夜にもお葬式にも出たが、ご遺族の方にこのレコードの話はしなかった。ぼくは彼女の心をしっかり受け止めたかったから。

それらは彼女の意志で、これからもずっとぼくの手元にある。
[PR]
by toshimusikk | 2006-11-29 02:59 | 雑記
<< 千成千徳先生リサイタル 浦上玉堂と坂田進一先生 >>