尖った集中、ゆるんだ集中 3(終わり)

前回はつい比喩に頼って話が脱線してしまいました。

しかし、言いたかったことを要約するとこうなります。
「演奏家は自分の好き勝手な表現をすればいいのではない。作曲者がこうあってほしいと望んだものと、聞き手が心を開いて聞くことができる何かとを音楽の演奏によってつなぐ役割を負っている」のです。

独奏していると、自分一人が目の前の音楽と格闘している、自分一人が表現者として演奏しているという錯覚に陥りがちです。しかし実際には、音楽は演奏者一人のものではありません。目の前にはいなくても、常に作曲者や聞き手の存在が一人の表現者の演奏を支え輝かせているのだと思います。

独奏していると、「これは自分の音楽だ」という錯覚に陥りがちです。しかし実際は、どんな個人的な音楽も本質的に必ず「私たちの音楽」に繋がっているのだと思います。だから音楽は「私とあなたたち(かれら)」のもの、つまり「私たち」のものなのだと思います。

演奏中、自分自身に集中してしまうことは多いものです。いい演奏を望むと必ずそれは起こります。これを仮に「尖った集中」と呼んでみます。
けれどもこの集中の焦点を少しずらしつつ、点を円に感じていくとします。「わたし」への集中から「わたしたち」への集中へ!! この広げられたフォーカスを持つ集中を「ゆるんだ集中」と呼んでみたのです。

ようやくこの日記のテーマの意味ににたどり着きました。 ホッ・・・

とはいえ、ことが内面の問題なので、具体的にこうしてああしてという具合に表現できないことが残念。。お詫び申し上げます。

これを読んで下さった奇特な皆様のご厚情に感謝!!
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by toshimusikk | 2006-11-14 11:48 | 音楽
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