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分かっているのに気付かない

バロック音楽というのはクラシックと同様基本的に即興音楽ではない。あらかじめ作曲されているものを演奏するのだから。
それなのに、曲の解説になったとき、トッカータとかプレリュードとか、即興的な音楽だといって憚らないのはなぜでしょう。みんな意外に譜面どおりに演奏しているのに、、、
看板に偽りあり・・・といつも感じているのです。バロック音楽の時代に演奏家が実際に即興演奏していたのは事実でしょう。その中身がどの程度のものだったか分かりませんが。。
誰がどの程度の即興の名手だったかなどについて話したいのではありません。
ただ、演奏家は皆、即興演奏への憧れを持っているということをいいたいのです。

だから、実際の演奏が仮に作曲されたいたものをしっかりなぞって演奏されるにしろ、その背後にいつでも即興的な気分、曖昧さ、移り気のようなものがないと、ただ堅苦しいだけの演奏を披露するだけに終わってしまうのです。

即興的な気分とか、曖昧さとか、移り気な姿勢など、あまり音楽のレッスンで話される内容ではないですよね。 しかし、わたしは、あえてこの部分を大変重要に考えています。
最近はこの「即興的な気分とか、曖昧さとか、移り気な姿勢」のことを、個人的な表現ですが<緩み>と言っています。

ゆるみとは、文字どおり心が緩んでいること、関節が緩んでいること、頭のねじが緩んでいることなのです。
緩んでいないことは、つまり緊張していることですよね。
確かに緊張している方が細かい点で確実な表現ができるかもしれません。
でも、音楽には確実ながあってはいけないのです。
音楽の醍醐味は、誰にも、演奏者にも聴衆にも次の瞬間が見えないことなのですから。。
もし、先々の展開が予想できるような演奏をしてしまったら、その時点でその音楽はつまらなく下らないものとなっています。
次の瞬間が全く新しい時間の開始点であることに、音楽芸術の新鮮さは依存しているのですから。。

ですから、音楽には全てに、「ゆるみ」というものが必要なのです。
音程も、ゆるんでいなくてはなりません。正確な音程で歌うこと自体、既に矛盾をはらんでいます。音程とは正確なものではなく、相対的なものだからです。歌の音程と器楽の音程を機械的に正確に一致させようとする努力は、クラシックのある流派だけが望んでいることで、実際どれほど重要なのか理解に苦しみます。

ゆるみ・・・これは音楽だけに関したことではありません、あらゆる芸術に関係の深い意識なのだと思います。

今日はとりあえずこの辺までにして、、

頭のねじを緩めて下さい、みなさん。。
むかし ねじ式 という漫画がありましたね!!
知っていますか?

ネジを締めては、危険なのです。どうか、、、ゆるめて下さい。
by toshimusikk | 2006-10-20 00:21 | アート
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