音楽会の楽しみ方

最近は自分が関係するコンサートが多くて、なかなか他のコンサートに出かけられない。
それでも、クラシック系のコンサートというと大変気になっていることがあるので、今日はそれについて少し書いておきましょう。

クラシックのコンサートというのは、いわゆる「リサイタル」が中心で、これは独奏者が日頃研鑽を積んできた音楽表現を、ホールの舞台の上でお客さまに純粋に聴いてもらう形式です。
余分なアナウンスも解説もほとんど無く、演奏者は時間に現れ、演奏し、黙っておじぎをして帰る、こんなスタイルの音楽会です。
もちろん、聴衆とのコミュニケーションを取りながらも、主眼点は演奏者が自分の音楽を静かに聴いてもらう立場でそこに登場しているということでしょう。

さて、ぼくが演奏するバロック音楽は、その時代演奏家が自分のために音楽会を開くなんてほとんどあり得ないことでした。

演奏の目的は、その時その部屋に、その大広間にいる人々の気晴らしのため、ちょっとメランコリックだったり、ちょっと幸福をつかんでいたり、恋に憧れているような人々の心をやさしく増幅させてあげられる・・・一見公的で、しかし深くでは私的に必要なエンターテインメントだったのです。

舞踏会を合わせたような催しや、オペラやバレエのような主催者の権威を象徴するような場面でも、音楽はその華麗さを引き立たせる影の主役でした。

演奏する側は、当然なぜ自分の音楽がその場の人々に必要なのかはっきり理解していました。その要望に応えることが義務でしたから。どんなに見事なテクニックでも、まねのできない天才的演奏をするものでも、その場の人々の不興を買うような自分本位の演奏では、たちまち職を失ってしまうでしょう。

ある夜会では、ほとんどの客人は食べたり飲んだり、話に興じたり、女性や男性の品評会よろしい目つきで室内を眺めまわしている中に、淡々と演奏している音楽家の近くに寄って、そっと耳を傾けるご婦人や紳士がいます。演奏家は彼等のために細心の注意を払いながら、デリケートな音楽の会話でその耳と戯れます。そんなささやかな遊びに満足して、客人方はまた社交の人々の中に歩み去ります。演奏家なら、その短いせつなに彼等の音楽に詰められるだけの心を音に託しているのです。それがテクニックで、それが演奏術なのです。

箱形のホールに一様に舞台を向いて座った大勢の聴衆。そして明るいステージでカリスマになって演奏を披露する音楽家。現代の音楽会は、リサイタルと称してこのような音楽会を何十年も続けています。

やはり、バロック時代の音楽を演奏している人間としては、短いドラマに自分の音楽を託してみたいと思います。全部完璧、全部が最高、というのとは、目指すところが違い過ぎて、比べようがありません。だけど、音楽だけが主で中心の音楽会には、やはり不満を覚えますね。
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by toshimusikk | 2006-09-12 15:14 | 雑記
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